2017/06/12
少し遅くなりましたが、ブータンにやってきて7か月が経ちました。
以前にブータンで生活していると、なんでもかんでも急にいろんなことがやってくる書きましたが、今回の冬休みも後半戦に突入してるというのに、2週間近く短くなると連絡があり、任国外旅行から戻った翌日に、あわてて任地に戻りました。
戻った当日、案の定、凍結が続いており水は出ませんでした。
実は、1月の中旬に一度任地に戻ったのですが、水が全く使えず、2泊だけして首都にとんぼ帰りしたのでした。
でもその際、何もしないのは職人として許されないので、万が一、水が流れてきたら、その火種ならぬ水種を絶やさぬよう、元栓(正しくは止水栓)から漏水するように小細工をしていたのですが、元栓にすら水が流れて来た形跡がなく愕然。
ハンドル部分をかなり緩めてわざと漏水するようにしたのですが
望みはお隣さんが自分より先に帰ってきて生活しているので、お隣さんまでは水がきていること。
翌日に作業をすることにし、任地についたその晩は、友人宅で夕食を頂きました。
(というよりも数日間は何故かパーティーが重なり、料理せずにすみました。)
夕食後、自宅に戻り片付けをしていると、水道から音が。
なんと、南側の水道管だけ水がやってきました。夜だというのに奇跡です。
きっとお隣さんがたくさん使った影響で圧力に変化がおきたのでしょう、少し下流にある私の家まで水が押し出されてきました。
これはラッキー!!
翌日から学校に行き、昼まで仕事をしましたが、水道の修理をしたいと断り午後は帰りました。
思ったよりも気温が高くなっていたので、これはチャンスと、凍結しているだろう配管めがけて地面を掘るつもりでしたが。
なんと、地面の土は凍っていて掘れる硬さではありませんでした。
なんてこった。
以前に凍結対策の授業をやりたいと言ったら、既にやっているし、私たちは対策方法を知っているとの回答。
しかし、メインの水道管は地上から20センチくらいとところに埋設してあり、ところどころ剥き出し。
マイナス10℃近くまで冷える寒冷地ならば、80センチ、最低でも60センチは埋めないと凍結するし、地上に露出している配管の断熱処理はあり得ないというか、まったく意味をなしていないどころか、むしろ逆効果になっている。
よくもこれで知ってるし、対策していると言い切れるもんだ。誰が教えたんだろう、この間違った知識。
結局、地面が掘れないので、凍っているであろう水道管の直上の土に水を流しつづけました。
これは賭けでもありました。
もし、今日中に解氷されなければ翌日はもっと悪い状況になりかねません。
数時間後、水の音がし始め解氷成功。
しかし、北側に露出している配管から噴水のように水が吹き上げてきます。
あきらかに、凍結による配管のヒビ割れでした。
その後、配管に施されている無意味な断熱材を剥がし、配管を確認すると、これでもかってくらい、配管がボロボロに割れていました。
構造上、水が溜まってしまうエリアにそれは集中していました。
翌日、生徒たちが修理を施してくれました。
もちろん、オーナーである校長も立ち会っていましたが、やはり意見が合わず。
私の意見
1 この断熱材(麻のようなもの)は意味がない。それどころか水を吸ってしまい、凍結を助長するので、巻かないほうがよい。
2 構造上、水が溜まってしまうところには排水出来るようにコック(蛇口で代用)するべき。
それに対してオーナーである校長は、断熱材はやらないよりやったほうがいいに決まってるし、コックを作るなんてことしなくても、水流しっぱなしにしておけばいいだけだとのこと。
てか、水流しっぱなしにする定で考えてるならば、断熱材もそもそも要らないじゃね?
言いたいことはたくさんありましたが、結局は、麻の断熱材は自分が断固として拒否して生徒に巻かせず、コックはお金もかかるので取り付けないことになりましたが、いつか自分で取り付けます!!
生徒は、自分と校長の板挟みになって可哀想でしたが、なにはともあれ、水が使えない状況は2日で解消されました。
めでたしめでたし。
ところで、2月5日(日)は、プリンスの1歳の誕生日でした。
ちなみに、冬休みが何故短くなったかというと、プリンスのお誕生日を祝うために2月3日には教師、スタッフ、生徒ともに集まりなさいと、省庁から通知があったのです。
日本人の感覚からすると、それくらいはせめて冬休み前に決められることだろ、、、と思うのですが。。。
まぁ、手帳を使ってるような人は少なくてもうちの学校にはいないので、ブータンでは予定をたてることが本当に苦手なんだと理解しています。
ということで、2月5日(日)は、お休みではありませんでした。
いつもと変わらない時刻に出勤し、民族衣装を自分で着られない私は、同僚に着させてもらいます。
いや、下手でも自分で着ればよいのですが、みんなが助けてくれるので、つい毎度甘えています。
滞りなくプリンスへのお誕生日のお祝いが終わりましたが、連れて行きたいところがあると事前に校長に言われていました。
というのも、私の活動はほぼほぼ写真隊員なものですから、カメラにビデオカメラ、三脚を携えてイベントを走りまわります。
嫌いじゃないんだけどね。
ということで、連れて行かれた先は、プリンスの生誕を祈念して植えられた木々が植わっている場所。学校から車で40分くらいのところにありました。
そこでは、すでにレンジャーさんと地元の人々が草刈りをしていました。
そこに、私たちの職業訓練校の生徒の精鋭も投入され、2000本近く植わっている苗木のまわりの雑草をひたすら手作業で刈って行きます。
私はというと、草刈りの手伝いではなく、カメラマンとして連れてこられた というのを言い訳にほとんど手伝いませんでした。
半年近く標高2800m近くで生活していたのに、2週間近く海抜0メートルで過ごしただけで、身体が全然ついていけません^_^;
ちょっと草を刈るのにしゃがんだり立ったりするだけで、頭くらくら。
昨年、マツタケ取りに連れっていってくださったカルマさん(左) と 校長(右)
レンジャーさんの友人とも会えたのですが、彼がなんと独身美女を2人も紹介してくれました。
無理矢理ツーショットの写真を撮らされるも私はまんざらではありません(笑)
しかし、よくよく周囲を見回すと、生徒全員の手が止まって私を見てるじゃありませんか(・・;
応援してくれてるのか、何やってんだこの日本人め!!
と思って見てるのか。
前者であることを祈りつつ。
私とのツーショットはみなさまにはご不要と思いますので、右半分をカット!!
なんと、彼女はこの若さと美貌で!? この村の村長さんなんだとか!?
翌日の月曜日からは、通常どおり授業などが始まりました
が、なかなか仕事スイッチが入らないワリには、カメラマンとしての仕事が忙しく、そして急に授業を振られる毎度のパターン。
しかも相手は、1か月間の短期で学びにやってきているブータンの軍人さんたち。
20人いる彼らの中で英語が話せるのは1人しかいないとのこと。
どうやら、軍人さんは英語は必須ではないようです。
でも彼らはいたって真面目どころか、ものすごい勢いで吸収するので、半年近くもかけて学んでいる1年生のスキルをあっという間に超えてしまっています。
社会人を経験したことがあるかいなかで、ここまで違ってくるものかと。。。
しかし、授業やって欲しいと言われても、英語を使えないというか、通訳係の同僚はいるにしても、事前準備にとまどいます。
どちらにしても、写真や映像をメインに準備をして、あとは自分の拙い英語を彼らに訳してもらえば(笑)
結局、当日は校長が乱入して通訳係になってくれましたが、私が30秒話しただけの内容を、2分も3分も話し続けます!?
絶対ちょっと違うこと喋ってるよね。まぁ、いいけど。
その話術は、さすがに見習いたいです!!
その軍人さんも2月10日を最後に、各任地へ戻って行きました。
ほんの1週間しか絡まなかったうえに、私が現地語を話せないから、あんまり会話はしなかったのにも関わらず、最後のパーティーでは、よく話しかけてくれたり、お礼を言ってくれたり、ハグされたり。
まぁ、本当に歌と踊りが好きな人々で、夕食後は、ずっと歌って踊っていました。
まさかとは思いましたが、日本の歌を聞きたいコールが起きてしまい、仕方なく歌いました。
まぁ、嫌いじゃないんだけどね(笑)
さて、本題です!?
2月に入ると11月、12月、1月より暖かい日が、増えてきてることを肌で感じます。
台所が寒すぎて、料理も冬季はサボりぎみでした。
サボりぎみといっても、レストランに食べにいくという選択肢がこの村にはないので、自炊せざるを得ません。
なるべく台所にいる時間を短くするというか、手の込んだものは寒くて作れませんでした。
2月9日、悲しいお知らせがあったので、そこまで寒くもなかったし、気分転換にコロッケでも作ることにしました。
挽き肉つくるミキサーまで使って、意気揚々と楽しんでいました。
調理の最終段階、コロッケを揚げる油を温めている時間に、コロッケの下に引くキャベツの千切りを作ることに。
普段は100%包丁で切りますが、たまたまイベントで買ってほとんど使ってないスライサーが視界に入り、スライサーでキャベツの千切りを切っていたら。
やべっ(。>﹏<。)
一瞬で、血の気がひいてく、、、
やっちまった瞬間。。。
あわてて火をとめ、止血止血。
どれくらいやっちまったのか確認も出来ないほどの出血だったけど、とりあえず落ち着け落ち着け。
高校時代、ピラニアにザックリ噛まれて血が止まらなかった時に駆け込んだ保健室の美人先生の手当てが未だに忘れられず、あの時と同じ止血ポイントを自分で抑えて、腕を胸より高くあげ、、、
あの時は血止まってほしくなかったなー
なんて考えてたら、あっという間に30分が過ぎ。
少し動ける程度に出血はおさまったので、駒ヶ根訓練所でお世話になった赤十字の救急セットの三角巾を使って止血を続けつつ、救急セットを見つめてニヤニヤ。捨てなくてよかったなぁ。
あれ!? どうしよう、救助呼ぶか!?
まぁ、ピラニアの時も結局病院行かなかったし、指なんて何本でも生えてくるだろうし。
(ウソです。指は生えてきませんが、指先はとれくらい切ったかにもよりますが、再生してくるみたいです。)
あれこれ考えたあげく、そのまま止血し続けることに。
でも、本心は超絶凹んでいたので、止血しながら取った行動は、「ジブリをみる」 でした。
もののけ姫とポニョをみて、(ちなみにポニョは歌だけ知ってたけど、観たことなかった)トータル4時間弱近く止血したら、ほとんど止まっており、痛みもほとんどない。
ということで、作りかけのコロッケを完成させて、全部たいらげて、さっさと寝ました。
翌日、あきらかに素人がぐるぐる巻にしたよね!的な包帯を巻いた私の指をみて、一同 同じ質問。
What’s happen?
I sliced my finger Haha.
そこで、ユーモアのある人は、君には今日から奥さんが必要だね。
あいつはどお? ダメ??
なんて言ってくる人もいますが、
A: 病院行ったのか??
私: 行ってないよ、自分でなんとかしたし、たぶんもう大丈夫。
A: ダメダメ、自分で治療しただけじゃ。最低でも注射は打たないと。
私: またまたー そんな冗談を^_^;
と、結局、病院ではなくBHUと呼ばれる街医者的な村の医療施設に連れて行かれました。
躊躇なくゴリゴリと傷口を消毒され、うひょーと叫び
結局、破傷風の注射を打たれ。
治療を受けてしまったので、観念してJICAに報告したのでした(~_~;)
ただし、治療で巻いてくれたガーゼと包帯があまりにも質が悪いので、帰ってすぐさま自分でやりなおしました。
そして先生いわく、月曜日まで触らず、月曜日にまた来てとのこと。
JICAのナースに報告すると、月曜日までこのままにしろって??
いやいや土日の間、どちらかでももう一度病院に行って欲しいくらいだけど、可能なら行ってね とのことでした。
まぁ、片道1時間歩くくらいなら、行きませんけどね。
こういう時、僻地はやっぱり不便です。
最後に、2月9日に叔母が亡くなりました。
帰国することは出来ないので、週末に近場でお参りに行きたく、校長に尋ねましたが、歩いて行ける近所のリンポチェがいる寺院は、冬季は違うところに住んでいるとのこと。
あとはクルマがないと祈りに行けるところはなく、週末から校長を含め何人かのスタッフは出張で忙しいので、代わりに生徒たちがお祈りをしてくれることになりました。
少し早めに学校に行くと、ボランティアの生徒たちがバターランプの準備をしてくれていました。
そして定刻の16時、遅れてやってくる生徒を待たずに、お経の合唱が始まりました。
彼らはもう慣れっこのようです。
読経は、悲しくて暗い感じのものではありません。
むしろ明るい気分で天に昇っていけるような、そんな雰囲気にさえ感じてしまいます。
彼らはもちろん人の死を悲しみますが、そこまで悲痛にはなりません。
死は終わりではないからです。
いわゆる輪廻転生の考えを深く抱いているので、徳をつんだ人ならば!?、あちらの世界でいい人生!? が歩めるものと考えているようです。
なにはともあれ、日本で行われている通夜とほぼ同じ時間帯に、こちらから祈りが届られたことに深く感謝した次第です。
実のところ、私個人はあまり信仰深くありません。少し前まで自分は無宗教だと思っていたくらいです。
それなのに、今日のお祈りはなんともいえない神秘的な時間でした。
少し若くして逝ってしまった叔母には、本当にあちら側の世界で、素敵な人生をスタートさせて欲しいと願って止みません。
任地に戻ってまだ10日程度しか経ってないのに、いろんなことが起きてます。
おもしろいね、ブータン!!