2017/06/12
私が過去に悪いことばかりしていたから説教されたわけではありません(^_^;)
説教とは、「宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと」(以下省略・最後に解説)
ブータンは、世界で唯一「チベット仏教」を国教としている国で、ブータン人の多くは敬虔な仏教徒です。
日本の仏教との違いを説明するには、まだまだ勉強不足なため、詳細はまたの機会に譲りますが、今週、さっそくブータンでは権威のある高僧にお会いすることが出来ました。
7月11日(月)の夕方、同期隊員のブータン人のお友達と夕食に行きました。
小さな小さな、現地の方向けのレストラン。
まずは、 スジャ(バター茶)、ラジャ(ミルクティ)を、飲みました。
食事は、ブータン式の料理。
近隣諸国のカレーと同じと思ってもらって構わないんですが、ご飯を適量お皿に取ったら、それぞれのダッツィ(写真)をお好みでかけて食べます。
お好みもなにも、辛い料理が苦手な私は、写真下の真ん中のエマダッツイ(チーズ) はおいしかったのですが、あとは、本格的な辛さで(>_<) ひ~は~
食事も後半になり、
お参りに行きませんか!?
ということになり、ティンプーの郊外にある「Rigdrol Lhakhang」という寺院に行きました。
日本だったら!? 1件目のあと、2件目ハシゴ or カラオケ となるんでしょうが、ブータンは違います。
お参りに行くのです!? (時期的にたまたまだですが)
また彼らの話しによると、今回向かうことになった寺院に行くと「リンポチェ」にお会いできるかもしれないとのこと。
ブータンに関する本を何冊も読んでいた自分は、チベット仏教における「リンポチェ」が、ヒーロー(英雄)のような存在であること(たとえが下手で本当に申し訳ございません)を知っていたため、こんなに早くチャンスが訪れるなんて夢にも思っていませんでした。
現地に着くやいなや、イスに座らされ、JICAの日本人ということで、お茶菓子などのおもてなしを頂きました。
車いすに腰をかけ、きさくにお話しをしてくださった方が、リンポチェでした。
お名前は、Guru Khyentse Ozer(リンポチェ)。
とても綺麗で流暢な英語で、お説教してくださいました。
大変に残念なことに、自分の英語力ではすべて理解はできませんでしたが、気持ちは伝わった気がします。心が洗われた気がしました。
彼がおっっしゃるには、私たちは今日、逢う運命だったのだそうです。
なんだか、そんな言葉を端々に頂戴し、素敵なおもてなしも頂戴し、明日もあさってもこの法要? をやっているので、遠慮せずに遊びに来てくださいとのこと。
そして、なんと そんなお言葉に甘えて翌日もお邪魔してしまいました。
7月12日(火) 17時頃に寺院に着くやいなや法要が始まりました。
日本の暗い感じの? お経を読むだけの法要ではなく、お経に加え、太鼓や笛、カスタネットのような小さな打楽器?? を交えた演奏があり、しばらくすると、お姉さんによる歌が入り、それはそれは日本のお寺の法要のイメージとは似ておりません。
とても楽しい気分にもなれました。
ひととおり読経がおわると、私たちを先頭に多くの参拝者がリンポチェのところに並びました。 リンポチェに薬を頂いて飲み、もうひとりの高僧(リンポチェ?)に聖水を頂戴しました。
参拝者には、いままで山のごとく飾ってあったお供え物を袋に詰めて、配っていました。
一度お供えをしたものを食べることは、大変なご利益があるとのことです。
とにもかくにも参拝者がたいへんに多く、私たちは特等席に座らせてもらった挙句、一番最初にリンポチェから薬や聖水を頂戴したので、しばらく待っていたのですが、待つのがしんどく・・・
そんな私たちをみて、連れてきてくれたブータン人が、バターランプが並ぶ別の会場に連れていってくれました。
バターランプに火を付けさせて頂いたり、バターランプの芯となる紐を取りつける作業をさせて頂いたりと、あっという間に時間が過ぎ去り。
そして、その後は夕食のおもてなし。
それはそれは、容赦ない辛さではありましたが、おもてなしの数々に感動でした。
その後、しばらく踊りを鑑賞していましたが、疲れていらっしゃるはずリンポチェが再び時間を作ってくださり、私たちを集めてお説教をしてくださいました。
特別難しい内容の説教を受けたわけではありません。
仏教に親しみのあるはずの日本人ならば理解できる内容です。
それらを多くのブータン人は守っていますす。
たとえば、
よい行いをすればすれはいつか自分に戻ってくる、逆もしかり
虫や動物だって長生きしたい、だから殺生はいけない
天国や地獄、それは死後の世界のものではなく、自分自身の心の中にあるもの
例えば夢の中で大金持ちになったとしても目覚めてしまえば、それは夢の話し。
人はいつ死ぬかわからない。明日死ぬかもしれない。それは逆らえない運命。だから欲に走らない。
(現世でお金持ちになっても、あの世には何も持っていけない。だから欲深くなっても仕方ないという意味)
その他、タバコは吸わないこと、お肉は出来るだけ食べないこと
それが不可能でも、少しでも減らす努力をして欲しい
などなど、すごく説明不足ですが、かいつまんでいうとこんな感じでした。
このような考え方が多くのブータン人の心にあります。
経済的に幸福なのか? といえば、そのような方は少ないと思います。(公務員の月給は、日本円で数万円だそうです。)
でも、そのような考え方が出来るブータン人は、日本人より幸せなんだと思います。
日本は、お金や物、娯楽があふれています。賭け事などの浪費も一部の人は楽しんでいます。しかしながら一方では貧困や自殺の問題がある。
おそらくは、自殺という行為を多くのブータン人は理解できないと思います。
仮に貧困で困り政府や行政が助けてくれなくても、ブータンでは誰かが助けてくれます。
それくらい、人間的な繋がりが強い国です。(もちろん都市部では日本と同じような問題を抱えていますが、ホームレスや物乞いはみかけません。)
ブータンにきて、1週間弱でさまざまことを考えることができました。
今後の活動やブータンの人々との交流が楽しみです。
※説教
説教とは、「宗教の教義・教典を、その信者や民衆に、口頭で説き明かすこと。
また、そこで話される内容そのものを指す場合もある。転じて、目下の者に対して、教え導くために言い聞かせることや、堅苦しい教訓をいう場合もある(「親に説教される」など)。
本来の語義における説教の場面では、説教をする者(説教者、説教家)は、一般信徒や民衆よりも高度で専門的な教義・教典についての知識や見識を有する者であること、さらにそれをわかりやすく教え伝える能力に長けていることが期待される。」
ウィキペディアより。